2014年9月11日木曜日

am:3:22

どうしても自己評価が低く自分の顔が許せなかった私はアルバムにある自分が写った写真の自分の顔を全て黒く塗りつぶして母親をひどく悲しませ、心配させたことがあった。


どこに行っても1番にはなれなくてヒロインにはなれなくて輝けなくていつもどこでも一歩先の誰かを見ていた。
きっと1番になる必要なんてなかったはずなのに 誰かに認めてほしくて見て欲しくて それでしか自分の存在を確認できないと思ってたのだと思う。

そばにいる友達さえ、1枚のベールの向こうで動くまるでドラマを見ているような彼女はなにかストーリーの主人公で私は視聴者、

そんな風にいつもいつも私は第三者で生活、日常全てがなんとなく他人事だった。

きっと彼女たちが笑う舞台の上が現実で、観客席に取り残された自分は何かの間違い、いつか舞台の上に行ける階段が出てくるんだ、なんて思ってたけど、
観客席の1人の女の子を見るものも、声を聞くものもいなかった。


そんな私は観客席で1人、パソコンを開き
舞台の上との通信を試みた。





インターネットをしていなかったら出会えなかった人、声を聞いてくれなかった人、ほんとうにたくさん居る。

インターネットをしたことによって自分の身体、顔、生活、環境にコンプレックスをさらに感じることもたくさんあった。

好きになれた部分もある。こんなに捻くれたコンプレックスの塊の私を好きだと言ってくれる人もいること、


時間がたつにつれ自分の言葉が大きな力を持つようになったこと、


自分自身を励ます言葉が誰かを励ますこともあること、

まず書くこと、発信することは私に力を与えた。


今だに自分を好きになれたらさぞ強くなれるだろう、と毎日鬱屈してるけど

インターネットが私に力をくれたのは事実だと思う。


インターネットに自分の自撮り写真をあげるこ、裸の写真をあげるこ、生活を赤裸々に綴るこ、

それぞれ表面的に見れば自分が好きなナルシスト、おかしい、だなんて捉えられるけどけっして違う。

彼女は、彼女たちは複雑な自己のコンプレックスをどうにかして消化しようと、

自分の信じる「かわいい」を共有しようと、

人と繋がろうとしてるのだと思う。








インターネットの全ての女の子が幸せになることを祈っている。

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