2014年11月8日土曜日

映画

好きな映画をあげる。

ただ私の好きな映画は一般的にみればクソ映画と評されることが多く、また一部に熱狂的なファンがおり、簡単に言えばサブくそ野郎と言われかねないものが多いので 「好きな映画は?」と問われても答えられないことが多い。


1人眠れない夜にたんたんと時間を潰せ、なんとなく心地よく、なんとなく刺激的。

長ったらしく語るのもめんどくさいのでポイントで綴ります。気になったら勝手にみてください。
つまらなくても知りません。



・『かもめ食堂』

とにかくシナモンロールが美味しそう。見終わったあとにごはんを作りたくなる。それは誰かのためにでもあり、自分のためにでもあるごはん。

包丁のトントンという音、カツをあげるジュワジュワという音。
優しい色彩の映像、人物の動きにあった効果音と音楽が気持ちいい。

あーお腹すいた。



・『スカイクロラ』

あの押井守作品であり、かなりの製作費、製作年月がかけられたものなのに世間的には一切話題にならなかったアニメ作品。

感情を失ったような瞳をしたキルドレと呼ばれる子供たちの顔がとても美しく、地上にいるときと3G効果をつかった上空にいるときの対比が面白い。

私がこの映画で特に好きなのは効果音で登場人物が新聞を折りたたむ几帳面な音がとてもお気に入りだ。そのシーンだけでも何回も見ている。

戦うことでしか存在を許されない子供たち。

最後の主人公のセリフの意図を鑑賞後に語り合うのも楽しいと思う。



・『愛のむきだし』

コイケ。コイケしかない。安藤さくらさん演じるコイケという登場人物が私にとってかなり魅力的であり、彼女をクローズアップした特典映像のほうがむしろ好きかも知れない。
一度見ただけでは暴力表現と性的表現に目がいきがちで内容がつかめないから何度もみてほしい。ただくそ長いけど。

ゆらゆら帝国の音楽に合わせてセーラー服で踊るエロい満島ひかりをみるだけでも価値がある映画だよ〜



・『あの夏いちばん静かな海。』

北野武監督作品。北野ブルーと呼ばれるようになった元となる映画。

とにかくたんたんとしていて主人公ヒロインは劇中一言も喋らず作品自体に言葉も少ないので見る人によっては開始30分で寝るかキレると思う。

ただ私は夏にも、寒く青い冬にも必ずみたくなる映画。

懐かしくて切なくて海が出てくるのに恋愛映画にありがちな感情の波たちは描かれない。

ただただ静かで美しい詩的で絵画的な映画。

ラストに流れる久石譲作曲のサイレントラヴがまたいいんだ〜





まだまだたっくさん好きな映画、引っかかる映画はあるけど綴るのが疲れたのでこの記事はこれで終わりです。


面白くても、つまらなくても、

私にとってはきらきらとした宝物のような作品たちなので

まあ気になったらみてください。

2014年11月7日金曜日

ラズベリーパイの中で眠る女の子。

トーストは焼きすぎてはだめです。


バターをたっぷり塗って、


きつねのお腹の産毛の色くらいふんわり焼きます。


少し固いみみにはブルーベリージャムをつけて、


珈琲の湯気で鼻の頭をあつくし、


ぼんやりニュースをみながら好きな人のことを考えたりします。



おはよう。



最近考えたことを綴ります。


断片的感情なので、そこに意味はありません。



ダイヤモンドの輝きより川の水面のきらきらを一緒に綺麗だね、って言える人が好き。



昔どんな音楽が好き?と言われ、かっこつけてグレーのキャンバスにピンクや橙色が走る夕暮れみたいな曲が好きと答えた。フジファブリックの若者の全てがそれに近い。



私の部屋は朝でも昼でも夕方みたいな色をしていて、いつも時間が止まっている。私は布団を頭まで被って、遠い海のことを考えたり たくさんの海月に囲まれる夢をみる。布団の中は一つの国になっていて、たまに隙間から敵国の攻撃をうけたりもする。




ラズベリーパイの中で眠る女の子。





綺麗な風景をみたら、その色を持ち帰って好きな人に見せれたらなあと思う。トンネルの街灯は4秒に一回ホタルみたいに光っていたよ。




2014年9月22日月曜日

見える

 
少し減ったフォロワーも肌をちょっと見せた写真をあげればすぐに元より増えて、

自分が、自分の体が消費対象でコンテンツであることが顕著に分かるし、


好きな人が悲しむ理由もよく分かる。


全部馬鹿馬鹿しいな、と思いました。



いま、女の子は
アイドルを自称する女の子も コスプレイヤーを自称する女の子も 歌い手も踊り手もみんなみんな


世に生きる女の子はみんな、消費対象でありコンテンツなのです。


それは悪いことでもなく 世間が回る上で当たり前のことで、経済が回る上で当たり前のことで、

人間、性、が存在する上で当たり前のことで、

多分はるか昔から女の子は 少女は使い古されて

多分女の子だけじゃない、誰かの目の前に立つ人、もしかしたら隣のあの人、あの子もかもしれない


誰を責めるでもなく、だれが悪いでもなく

ただただ当たり前で、ただただ馬鹿馬鹿しくて 

人間も欲もインターネットも現実社会もほんとに分かりやすく残酷だなあ、と感じているだけです。



分かりやすく記号化された性は コンテンツは

消費者側から一方的に与えられた記号としての役目を終えると、飽きられると、

人々の記憶から消し去られ、


「何者にもなれないまま」

捨てられるのです。


「何者にもなれなかった少女たち。」


記号として、コンテンツとして、女の子としての一生を終える少女たち。


消費される少女たちは、

削られ、擦り減り、これが永遠ではないと分かりながらも

自分の価値に無意識のうちに気づきながら

笑い、使われ、ちやほやされる優越感に知らず知らずのうちに浸り、


自分の消費期限を、自分の最後を分かりながら生きているのではないかと。




「何者にもなれなかった少女たち。」


常々そんなことを思いながら、


自分の描く少女像、かわいい、消費、コンテンツ、記号、死


そんなことにスポットを当てて年末12月後半当たりに展示会をやろうと考えています。


そうです、宣伝です。

宣伝のための前振りです、長い前振りですみません。


私が作り手として、初めてやる展示になると思います。


まだまだ先なので深夜の戯言の中にはさんでみました。

近くになればきちんと告知します。



いつもモデルとして撮っていただいてる写真家の香奈ちゃんの作品たちに私がグラフィックアートで手を加え。

空間自体も一緒にデザインするかもしれません。


同時に卒制で作る服も販売するかもしれません。
カタログなども作るかも。


その他もろもろ。


私が消費される側、コンテンツからの脱皮の第一歩になるかもしれません。


もちろん、消費される気持ちよさ、残酷さも知りながら。


そろそろ本格的に製作も走りだしそうになりながら


そんな展示が行われるまで、


気持ち良く 「私」というコンテンツを消費していっていただきたいと思います。


展示までに全てが嫌になって全て投げ出し消えないことを祈っていてください笑
(本当に。本当に最近死にたくて困っています。生きねば。)




今日も全ての女の子が幸せな夢を見れますように。



おやすみなさい。


2014年9月11日木曜日

am:3:22

どうしても自己評価が低く自分の顔が許せなかった私はアルバムにある自分が写った写真の自分の顔を全て黒く塗りつぶして母親をひどく悲しませ、心配させたことがあった。


どこに行っても1番にはなれなくてヒロインにはなれなくて輝けなくていつもどこでも一歩先の誰かを見ていた。
きっと1番になる必要なんてなかったはずなのに 誰かに認めてほしくて見て欲しくて それでしか自分の存在を確認できないと思ってたのだと思う。

そばにいる友達さえ、1枚のベールの向こうで動くまるでドラマを見ているような彼女はなにかストーリーの主人公で私は視聴者、

そんな風にいつもいつも私は第三者で生活、日常全てがなんとなく他人事だった。

きっと彼女たちが笑う舞台の上が現実で、観客席に取り残された自分は何かの間違い、いつか舞台の上に行ける階段が出てくるんだ、なんて思ってたけど、
観客席の1人の女の子を見るものも、声を聞くものもいなかった。


そんな私は観客席で1人、パソコンを開き
舞台の上との通信を試みた。





インターネットをしていなかったら出会えなかった人、声を聞いてくれなかった人、ほんとうにたくさん居る。

インターネットをしたことによって自分の身体、顔、生活、環境にコンプレックスをさらに感じることもたくさんあった。

好きになれた部分もある。こんなに捻くれたコンプレックスの塊の私を好きだと言ってくれる人もいること、


時間がたつにつれ自分の言葉が大きな力を持つようになったこと、


自分自身を励ます言葉が誰かを励ますこともあること、

まず書くこと、発信することは私に力を与えた。


今だに自分を好きになれたらさぞ強くなれるだろう、と毎日鬱屈してるけど

インターネットが私に力をくれたのは事実だと思う。


インターネットに自分の自撮り写真をあげるこ、裸の写真をあげるこ、生活を赤裸々に綴るこ、

それぞれ表面的に見れば自分が好きなナルシスト、おかしい、だなんて捉えられるけどけっして違う。

彼女は、彼女たちは複雑な自己のコンプレックスをどうにかして消化しようと、

自分の信じる「かわいい」を共有しようと、

人と繋がろうとしてるのだと思う。








インターネットの全ての女の子が幸せになることを祈っている。

2014年3月7日金曜日

1日。

好きな人と2人でDVDで映画(ホノカアボーイ)を見ていたら作中に糸電話が出てきました。
(この映画はパステルな色彩がとても美しくて甘いお砂糖の匂いがしてきそうなとてもいい映画です。)

わたし、生まれてから一度も糸電話したことないって好きな人に言ったらじゃあしよう、ってことになり、

今日のお昼、子供がたくさん遊ぶ公園の中で糸電話したんです。

何か言われたら
「私達は東大の理工学部に通っていてこれは研究の一環なのよ。」
って答えようって二人で決めていたからなんら恥ずかしいことはなかったけど、

その公園が某巨大宗教団体支部の目の前で
大の大人が糸電話してたら 
「君たちには素質がある!」
とか勧誘されたらどうしようとか考えた1日でした。

糸電話は距離が近すぎて耳にこっぷを当てなくても少し聞こえてしまったので失敗でしたが、

次は糸の種類を変えたり、坂の上と下、お互いの姿を見えないようにしてやってみよう、レポートにまとめて2人で読もう、などと決めたので次糸電話するのがとても楽しみです。


そのあとは映画館に行き、魔女の宅急便を見ました。

主人公の女の子が将来悪に走りそうな作り笑顔してるけど可愛いなあ〜、なんてことしか覚えてないけど、

 好きな人と一緒に見たから面白かったです。


桜の季節になったら白いワンピースを着て、丸いトゥの靴を履いて、桜の木の下でくるくる回って見せるから一緒に桜をみに行ってね。と言ったら

顔は上を向けて回るの?と期待してそうに言われたので 

顔を上に向けて桜を見ながら可愛くくるくる回る練習を今からしたいと思います。